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日本語版への序文
麻酔の専門性の確立には波乱に満ちた劇的な歴史があった。1846年にマサチューセッツ総合病院で行われたエーテル麻酔の公開実験が,専門領域としての麻酔のはじまりと一般的に考えられている。しかし,それ以前の16世紀には,すでに人体の生理機能(たとえば血圧,心拍数)を測るさまざまな技術が発見されていた。このような計測技術の進歩により,異常な生理学や薬理学と関連した臨床状態にあっても,安全に麻酔や手術ができるようになっていった。1846年以降,針の発明やコカイン(局所麻酔薬)の発見があり,また1885年には神経ブロックの導入など,一連の多くの発見によって,ほとんどすべての手術に麻酔を行うことが可能となり,その後の1920年代前半の気管チューブの発展によってさらにそれは容易となった。1930年代にはチオペンタールが麻酔の導入に使われはじめた。また他の多くの静注用薬物(例えば,筋弛緩薬)が導入されてきた。
1950年代と1960年代初頭に麻酔の教科書が出版されはじめた。そこでは手術室での吸入麻酔薬,静脈麻酔薬あるいは局所麻酔薬による麻酔法がおもに論じられており,麻酔前評価についてはごくわずかしか触れられていなかった。というのもたいていの患者は合併症がなく,当時の手術は現在と比べそれほど複雑なものではなかったためである。もちろんショック状態にある患者への医療や酸素療法は徐々に行われはじめていた。
1950年代以来,麻酔科学は次第により専門的医療分野へと進展し,またクリティカルケア,疼痛管理,呼吸管理などの手術室外での臨床的役割も加わった。全身麻酔や局所麻酔から回復する患者に対する特定の領域(すなわち麻酔回復室,PACU)が発展していった。痛みの緩和が麻酔の主要な目的であったが,ペインクリニックをもつという考えでまとめられてはおらず,当然,術後急性痛管理への体系化されたアプローチではなかった。
同僚や出版社らからの激励を受けて,私は麻酔の全分野を取り扱った教本を編集することを決意し,1970年代後半に出版した。その本の構想の柱は,麻酔の重要な点に関する章を執筆してもらえる米国で第一線の麻酔科医を探し出すことであった。そのときまでには,術前評価,薬理・生理学,そしてクリティカルケアが進展しはじめていた。また,麻酔の専門分化がはじまり,特に小児や心血管の麻酔が広く行われるようになっていた。構想としては,各章が独立しており,引用文献の数の制限をなくし,読者が著者の結論を確実に実証できるようにすることであった。重視した事柄は臨床ではあったが,やはり最高の麻酔法のための土台となる生理学と薬理学の原理が詳細に記述されていることであった。
これが単一の観点を押し付けなかった初の教本のうちの1冊であった。例えば,術前評価や高血圧を伴う患者の治療についてはいくつかの章で論じられているが,必ずしもそれぞれの章の内容が一致しているわけではない。仮に読者が関連する章すべてを読むと,高血圧に関してのさまざまな論点について総体的な見解を導き出すことができるようになっている。
1981年に出版された第1版は,31人の著者により全46章,1,500ページで構成されており,すべてのページが白黒であった。現在の「Anesthesia」第6版は全89章,3,200ページとなっており,ビデオやカラー写真が付いている。麻酔科学は実際それほど変化したのだろうか。1950年代に執筆されたものから,1981年に出版された「Anesthesia」第1版,2005年に出版された「Anesthesia」第6版までを比較すると,麻酔が変化していることに驚かされる。麻酔の専門性は劇的に周術期全体に,さらに,化学,生物兵器など麻酔そのものとは本来関連のない領域,インターネット,生活の質の改善,患者の安全性やその他の多くの領域にまで広がった。脳死,心肺蘇生や栄養面での問題は,かつての「Anesthesia」にはまったく述べられていなかったが,今やクリティカルケアに関連する内容が6章も含まれているし,周術期の輸液管理については3章が割り当てられている。明らかに麻酔の専門性は,急性や慢性痛対策,遠隔地,心臓病,高齢者,外傷,小児,産科,脳外科,血管などに特殊化されはじめた。現在は,複雑なモニタリングが行われており,そのようなモニタリングだけで11章あり,そこではペースメーカや経食道心エコー法などが取り上げられている。
この「Anesthesia」の教科書はさまざまな形で利用できる。最も明白なのは,ある特定の情報が必要なときである。例えば,輸血の適応に関する最新情報が必要な場合,あらゆるトピックスは包括的に第47章で述べられている。一方,特殊な臨床状況にある輸血の役割が求められたとき,この基本的な内容は「心臓手術の麻酔」(第50章),「血管手術の麻酔」(第52章),「臓器移植」(第56章),「小児麻酔」(第60章),「外傷の麻酔」(第63章),「麻酔科学とクリティカルケアの概要」(第74章)を含む10以上の章に含まれている。別々な章で同じトピックスについて検証することは,特定のトピックスに関して信じられないほど幅広い視野の内容をもたらした。別の例としては,局所末梢神経ブロックは当然のごとく「神経ブロック」と題して第44章で述べられている。その一方で,多くのサブスペシャリティでもまた「神経ブロック」を使用しており,小児に関しては第45章,産科に関しては第58章,整形外科に関しては第61章,急性術後痛に関しては第72章でそれぞれ述べられている。「麻酔の将来」を想像し期待する努力として,4つの章「ロボット手術の麻酔」(第66章),「化学生物剤と麻酔科医の役割(第64章),「患者シミュレータ」(第84章)がある。実際麻酔の専門性が,現代医療の多くの側面になんと早く広がっているのだろうと感慨深い。
われわれはみな,この「Anesthesia」の教科書が国際的に重要となっていることに誇りをもっている。「Anesthesia」第6版が数年前に計画されたとき,「Anesthesiology」,「Anesthesia and Analgesia」,「British Journal of Anaesthesia」などのようなピアレビュー雑誌は,北米やヨーロッパの原著論文で独占されていた。結果として,それらの章の著者はそれらの大陸の国々の人たちによって独占されていた。ここ5年以内でアジアやヨーロッパと比べ,北米からのオリジナル論文の寄稿は激減した。「Anesthesia」の編集会議ではこの版をできうる限り,内容や論文の分析に関しては国際的なものにしようと試みた。われわれは特に「Anesthesia」の第6版が日本語に翻訳されたことに喜びを感じている。この翻訳は教科書である「Anesthesia」が国際的に重要であることを実証している。同様に日本の麻酔科医がこの教科書を読むことにより,私は個人的に,また出版社も,今後の第6版の増刷や数年後の第7版に役立つようなコメントをお待ちしている。
「Anesthesia」第6版の日本語版が,世界中の麻酔科医の協力と国際的理解に役立つことを願っている。われわれ皆が,患者に質の高いケアを提供することに努めたい。
2007年3月
Ronald D. Miller
