特別座談会 LiSAVol.20へ向けて

『LiSA』は2013 年にVolume20 を迎えます。これだけ雑誌が厳しい時代に,おかげさまで多くの読者の支持を得て,さらに少しずつ購読者が増えています。そこで,この機会にもう一度『LiSA』のコンセプトや内容を読者に理解してもらうために,本日の座談会を企画しました。

稲田  本日は,私たちがこの雑誌を始めたときにどんなことを考えていたのか,という温故知新のようなこと,それから現在の雑誌はどうなっているのかということ,そして将来を見つめて,ということでいろいろお話をしていただきたいと思います。

テーマは「Vol.20 へ向けて」ということでありますが,創刊0 号は1994年9 月発行でしたので,もうすぐ満18歳ですね。日本でも18 歳になるといろんなことができるようになって,一応大人扱いではあります。『LiSA』も大人の段階に入ってきたということでしょうが,まだまだ若いということでお話をしていただきたいと思います。

『LiSA』を創刊したとき,われわれが思っていたことは,難しいことを簡単に,みんなにわかりやすく提示して理解していただきたい,というのが第一歩だったと思います。その当時の最新のもの,ちょっととっつきにくいところを取り上げて,それをわかりやすく解決していく。漫画のようなものを入れるのは, 医学雑誌としては非常にユニークな試みでした。

ただ,若い人たちには,難しいことがわかるだけに止まらず,もう一歩先に,ここでまず手がかりをつかんでさらに進んでいただきたい,という思いもありました。

当時『LiSA』は非常にマイナーな雑誌でしたし,漫画が入っていたり,口語体で書かれていたりと,どちらかというと目上の先生方からは叱られるような存在であったのも事実です。当初は反骨精神でつくった雑誌なのに,最近は「『LiSA』に書いてあるから」と権威的な雑誌であるかのように扱われることがあると聞きますが,われわれはそういったことを望んでいたのではありません。『LiSA』に書いてあることについて,もう一歩踏み込んで考えてほしいというわれわれの出発点とは,最近少し変わってしまったかなと感じています。

もう一つは読者参加型ということで,読者の方からFAX を送っていただくという試みも初めてでした。また,本当に私たちが普段,当たり前と思ってしていることは正しいのだろうかという観点から,当時私は日常診療の常識に挑戦というテーマで,日常的に行っていることに対して,これは本当なのだろうか,正しいことなのだろうかというようなことを書いてきたわけです。

今思うと,とてもEBM とは言えないものでしたが,そういった身の回りの疑問を少しずつでも解決したいという思いがありました。

また当時からの基本骨格である「徹底分析」と「症例検討」は今もずっと続いています。

本日はこういった創刊時の思いを振り返りながら,まずはわれわれの原点は何だったのかということをお話しいただきたいと思います。

■雑誌『LiSA』のコンセプトとスタンスについて

稲田  落合先生は,最初,『LiSA』は必要なところだけ破いて持って行けるような気楽な雑誌でいい,ということをおっしゃっていました。これまでのバックナンバーを全て並べると本当にたくさんありますが,『LiSA』がこんなに長く続くとは,われわれは想像していなかったと思います。

落合  発行前に『LiSA』をどういった雑誌にすべきか議論するときに僕がすごく楽だったのは,編集主幹の稲田先生という一つの柱というか筋道があったので,僕はそれに反対していればよかった(笑)。稲田先生が提案する王道に対して逆のことをどんどん投げていればいいという立場にいたので,比較的やりやすかったし,発行後の編集会議でも毎月実験を重ねていたような感想があります。

僕個人としては,「従来の雑誌が持っていた枠組みに媚びない」という立ち位置を維持できればいいのかなと思っていましたし,現在もそれは変わっていません。雑誌というのは視点を一つに絞ることでそのカラーができるのでしょうが,その中で「全く違う見方はないだろうか」というのが常に僕のテーマでした。それは,その後の僕の人生-だいぶ大きく出ましたけれども-を決めることになってしまいました。

稲田  「雑誌」にしようと考えたので,難しいことを簡単に,わかりやすく記載するということのほかに,いろいろな記事を載せたいと思って,「徹底分析」,「症例検討」といった医学的なことだけではなくて,一般書籍の書評を載せてみたり,学会開催地の観光案内を載せたりして,雑多な記事を入れ,遊びの部分を増やそうとしました。後で単行本になった『悪魔のささやき医学辞典』みたいなものもあったし,そういった意味ではずいぶん知的に遊ぶことの探究をした感じです。

中木  『LiSA』の基本精神の一つには,単行本にもなった"素朴な疑問"というシリーズの考え方があったと思うし,これからもずっとそうあってほしいと思うのですが,あれは常識に挑戦とも通じることですね。偉い先生が「こうだ」と言うと,「そうですか」で終わってしまうのではなくて,一歩突っ込んでみると,意外と何の根拠もなかったりすることがある。現時点でそういう問題はたくさんあるはずだし,今後もそれを続けていったらいいと思います。

私は薬理学の立場から編集に参加してきたわけですが,最初の徹底分析テーマはプロポフォールで,奇しくもこれは非常に画期的で強力な麻酔薬になりました。記事にも書いたのですが,それまではチオペンタールに圧倒的なポピュラリティーがあって,そこに新参者のプロポフォールが出てきて,当時はどうなるかという状況でした。理屈から考えて,非常に使用頻度が増えるのではないかという予想はあったのですが,見事にその通りになりました。

『グッドマン・ギルマン』という有名な薬理学の教科書がありますが,当時の麻酔科のセクションのほとんどは吸入麻酔薬のみで,静脈麻酔薬は本当にわずかだったのが,今はボリュームが半々になっていて,どんどん静脈麻酔薬が増えています。それはプロポフォールの影響が大きい。創刊号でプロポフォールを特集したというのは,『LiSA』の,稲田先生の先見性を象徴しているのではないかと思います。

そういう意味で『LiSA』が権威的になってくるのは危険だと思います。若い人が『LiSA』に書いてあるからその通りにするという話があるそうですが,それは黄色信号だと思います。

稲田  あくまでも『LiSA』を踏み台にして,次に進んでいただかなければいけないわけですね。

須崎  いい加減なことを書かないのは当然にしても,教科書にあるからこうだ,という押しつけは絶対に避けよう,文献としてエビデンスがあるかどうかではなくて,臨床という生の現場で得た経験を示そうと話し合いました。当然,読者の中にはそうじゃないだろうという意見があるはずです。思ったよりも反応がダイレクトに来なかったという感じもありますが,時々読者とのやりとりがきっかけで内容が深まった記事もあります。本当はもっと膨らませたかったですね。

稲田  大御所ではなく,現場で苦労している人に書いてもらおうというのも,『LiSA』が生き生きしたものになった一つの要因だと思っています。" 素朴な疑問" ということで言えば,われわれは毎日,麻酔を20 年も,30 年もやっていてもわからないことばかりで,ずっと迷いながら麻酔をしているということを若い人にも理解してほしいですね。

須崎  今は若い先生が,「それはエビデンスじゃないでしょう」と言ってきます。「偉い先生の言うことが一番信用できないんです」と言われてしまうこともある。

稲田  本当に学生からの" 素朴な疑問" には,はっとさせられます。この前,私がちょっと困ったのは,「区域麻酔と全身麻酔で,なぜ区域麻酔では意識がなくならないのですか」とか,実習中に「亜酸化窒素を一度も使っているのを見たことがないんですけど,なぜ中央配管から出ているんですか」とか...。

須崎  なかなか鋭い質問ですね。

稲田  学生や研修医からは,そういった" 素朴な疑問" がたくさん出てきます。われわれが普段当たり前と思っている基本的なところを聞かれると,頭を抱え込んでしまうことがありますね。BSL で学生に教えるときも,基本的に,「みんな,質問はありませんか。疑問のない人には教えてもしょうがない。知りたいと思うことを教えます」と言って,さまざまな疑問を出してもらう。そしてグループで端から順番に当てていって,その疑問にみんなで答えを見出すという形にしています。疑問がないところには学習はないだろうなという考えがあるので,研修医もそうだし,学生もそうだし,われわれもそう。疑問を持たなくなって,ルーチンになっていくのが一番危険で進歩がないことだと思います。

須崎  現実にわからないことがある。わからないことに気付き,疑問を持つというのがそもそもの思考の一番の出発点ですが,臨床ではそのときにゆっくり本やデータベースを調べることができる場面と,そんなことを言っている暇もない場面の両方があります。たとえばapnea。apnea の定義を言えるかどうかよりも,まず患者が呼吸をしてないということがいかに生命危機として重要であるかというイメージができない人に,いくら本を読ませても同じです。机上の知識はあっても,今患者に起こっていることの認識が言葉にならない人がいます。だから救急では特に緊急度,重症度という概念が一番大事なことですけど,若い医師を指導するとき,そこに大きなギャップを感じます。何が大事か,大事なものから言えと僕らは常に要求します。

稲田  アメリカの学生はそういうのはできるんです。プライオリティー順に列挙して言える。これは知識の習得の仕方の違いだと思います。われわれはいろいろな本を読んだり,調べたり,自分でノートをとったりといった方法で学んできました。ところが,今の人たちは,たとえば調べるにも,インターネットで検索すれば,それらしい答えが見つかります。もしそれをコピー・アンド・ペーストするだけであれば,自分の頭をただ通りすぎているだけで,結局,頭の中で咀嚼されず消化されないままです。言葉としては確かに見たことがあるけど,自分の頭の中にはそれが系統立って入っていないという気がするんです。

問題は『LiSA』が自分の頭で考えるきっかけになっているかということですね。さっきの" 素朴な疑問" のように,これがわかってないんだということを提示しないと,先には進まないだろうなという気がします。そういう意味で知識を押しつけないということは大事だと思いますね。

安田  「どうして?」と思わせるというのも難しいですね。

稲田  普段,臨床の現場では「どうして,どうして」の連続のはずなのですけどね。