ハリソン物語

第2版 1954年・T.R. Harrison

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こうした冒険的な企てについてお話しすると,第2 版の準備にあたって編集チームの勢いがさらに増したように思われるかもしれないが,実はこのとき,われわれの意欲はひどく低下していた。原因は,編集チームと出版社との不和にあった(ことわっておくが,編者どうしの間には何の問題もなかった)。初版の際に編集チームと出版社との間で結ばれた契約は初版だけについてのものだったので,新しい版を出す場合には,そのたびに新たな契約を締結する必要があった。こうした状況になると,編者も出版社もできるだけ自分に都合のよい条件で契約を結びたがるため,印税をめぐるある程度の駆け引きが避けられない事態になった。私の記憶違いでないかぎり,印税に関して大きな問題が生じたことはなかったのだが,Eunice Stevens の豹変ぶりには驚かされた。Ted Phillips の下で働いていた頃の彼女は,彼にならって編集チームと出版社の利益を等しく考慮してくれていたので,われわれはその公平さを好ましく思っていた。ところがいまや,彼女の目標は,できるだけ出版社に利益になる(つまり,われわれには厳しい)契約を締結することに変わっていたのだ。とはいえ,初版が成功していたために,契約におけるわれわれの立場は有利で,印税についての問題は,一時的なもので終わった。本当の問題は,別のところで生じた。

はじまりは,怒りに燃えたResnik からの電話だった。朝刊にBlakiston 社の広告が入っていて,『ハリソン内科学』と,その他の数冊の医学書のどれか1 冊との「セット販売」をしているというのである。セットの価格は,『ハリソン内科学』1 冊の価格よりわずかに高いだけだったが,Resnik がこの広告に激怒したのは,売り上げ1 冊あたりの編者の印税が減るからではなかった(私と同様,彼もまた,販売部数が増えることにより,編集チーム全体に入る印税が実質的には増えることに気づいていた)。

Resnik の怒りは,『ハリソン内科学』の姉妹書として宣伝されている本のレベルにあった。これらはどれも二流の本で,どう考えても,出版社が単独では売れない本を厄介払いするために『ハリソン内科学』を利用しているようにしか見えなかったのだ。新しい販売方針を打ち出したBlakiston 社の取締役のFrank Egner は,以前,医学書版「ブック・オブ・ザ・マンス(注:米国で最大の書籍の通信販売組織)」計画を熱っぽく語っていた。われわれはそれを他人事のように聞いていたが,彼が売り上げを伸ばすためならわれわれに無断でこんなことまでするとは夢にも思っていなかった。