ハリソン物語

第3版 1958年・T.R. Harrison

2/6

Beeson が辞意を表明した直後に,私のもとにResnik から電話がかかってきた。感染症分野の次の編者は,イェール大学のIvan Bennett がよいのではないかというのである。私は即座に,Bennettがすばらしい編者になることを確信した。私は当時,Bennett について良い評判を聞いてはいたが,個人的には知らなかった。それにもかかわらずこれだけ強い確信を持ったのは,Resnik との30 年以上にわたる付き合いから,彼の判断力について,ある経験則を持っていたからである。すなわち,ある雑誌に掲載された論文や本,人物についてResnik が「凡庸」と評するときには,それが間違っている可能性がときどきある。けれども,彼が著作物や人物を賞賛するときには,その評価は常に正しいのだ。Bennett の能力についてのResnik の評価が正しく,Resnik の判断力についての私の経験則が正しかったことは,その後の3 版の編集作業の間に十二分に裏づけられることになる。

他の編者も全員がResnik の提案に賛成し,Bennett もチームへの参加を承諾してくれた。第3 版の準備において特記すべきことは,このほかに2 つあった。1 つは,McGraw-Hill 社との仕事に対する満足感である。特に,McGraw-Hill 社の役員には非常に好印象を持った。理由はやはり,販売方針にあったと思う。

Doubleday 社は,基本的に一般向けの本をつくっていた。こうした本は初版のみで終わることが多く,その成功は短期的な売り上げの観点から評価され,知的な価値は,ほとんど,あるいはまったく考慮されていなかった。