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 徹底分析シリーズ

脳を守るストラテジー 1

   脳・脊髄は高度に分化・統合された臓器で,再生能力に乏しく,低酸素・虚血などの侵襲にきわめて脆弱で,一旦障害を受けると機能回復は困難である。しかし,虚血を例にとると,再循環を適切に行い,その後の管理を厳密に行えば,かなりの虚血時間後でも機能の回復が可能であるとういう結果が,およそ30年前に実験動物で示された。

   それ以来,脳蘇生の研究は著しい展開を示してきた。すなわち,興奮性アミノ酸や,細胞内カルシウムイオン,活性酸素種などが障害にかかわること,神経細胞の死に方にネクローシス以外にアポトーシスが存在すること,軽度低体温がこれらの障害に対し保護効果のみならず治療効果を発揮することなど,膨大な研究成果があげられた。ただし,現実の臨床の場では残念ながら,中枢神経は依然として低酸素・虚血にきわめて脆弱であり,脳蘇生の限界は以前と比べて大きく変わったとは言い難い。
   そこで,これまでの研究成果を整理し,新たな治療展開をはかるため,日本麻酔科学会第50回大会で,「いかにして,脳・脊髄を守るか」というテーマでパネルディスカッションを行った。基礎的なメカニズム解明による新規治療法確立のための戦略,臨床における脳・脊髄保護のための戦略,脳・脊髄障害からの機能回復のための戦略の三つのアプローチを目指したパネルであった。

   本特集では,この方面で活躍中の各パネリストに,その内容と,パネルで語り尽くせなかった点を含めて,思う存分に,かつわかりやすく執筆していただくことにした。
   虚血性神経細胞死のメカニズムについての分子生物学的解明と,それに基づく新たな治療法の開発に関して,東京医科大学八王子医療センター麻酔科の内野博之先生に執筆いただいた。なかでも,最新の研究成果としてミトコンドリア機能を回復させるような創薬,脳へ安定して供給できる投与法などの開発は注目される点である。また,最近大きく注目されるようになっているグリア細胞の役割に焦点を当て,山形大学医学部急性期生体機能統御学分野の伊関 憲先生に執筆いただいた。グリア細胞には神経傷害を助長する役割や,修復促進の役割など,さまざまな可能性が考えられており,この点の解明はやはり新たな治療戦略につながるものと考えられる。

   将来的な展望として,神経細胞自身のもつ自らを守ろうとする働き(虚血耐性)を,いかに引き出すことができるか,cross-toleranceの臨床応用を視点に置き,その可能性を山口大学麻酔・蘇生学教室の松本美志也先生に執筆いただいた。遺伝子を生体内に発現させて耐性を誘導させることも夢ではなくなるかもしれないと,期待が寄せられる。さらには神経幹細胞などを利用した神経再生療法の現状と展望を慶應義塾大学医学部外科学教室脳神経外科の内田耕一先生にまとめていただいた。

   臨床における脳・脊髄保護に関しては次号第2回で,心臓手術,胸部大動脈手術,脳外科手術時の中枢神経機能をいかに守るかについて,それぞれ,東京大学医学部心臓外科の高本眞一先生,東京医科大学八王子医療センター脳神経外科の池田幸穂先生にメスを入れていただく。脳・脊髄再灌流障害を防ぐことのできる最も有効な手段は何か,臨床の場で期待しうる薬物は何か,フリーラジカルスカベンジャーの効果は期待できるか,脳・脊髄傷害の鋭敏なモニターおよび生化学的なマーカーは何かなどに迫ることができると思われる。さらに,現在臨床の場で最も応用されている低体温について,その効果発現機序を整理し,いかに副作用を最小にして,最大限の効果を引き出すかなど,臨床家にとって大きな課題を山口大学高度救命救急センターの前川剛志先生にまとめていただく。

   本特集が,脳障害の可能性のある患者管理に携わる臨床医に少しでも役立ち,また,中枢神経障害の予防・治療の新たな展開のために,われわれに課せられた今後の課題を明らかにできることを祈っている。

山口大学医学部麻酔・蘇生学教室  坂部 武史