ハリソン物語

Adamsの回想 Raymond Adams

2/5

そのため,『ハリソン内科学』初版の編集チームも,当初は神経学と精神医学を除外することに決めていたのだが,直前になって方針を変えた。執筆を依頼されたのは,Thorn の知り合いのH.Houston Merritt だった。Merritt は,ボストン市立病院神経学研究ユニットの一員として研究に従事する傍ら,ときどきブリガム病院で診察をしていたからである。Merritt は当時,ニューヨーク神経学研究所の運営に忙殺されていて,『ハリソン内科学』のために割ける時間がほとんどなかったため,助手のDan Sciarra に執筆を任せた。Sciarra の記述は表面的で,他の分野のような高いレベルには達していなかったが,Thorn は,心身症に対する精神分析的アプローチの目新しさに,随分,印象づけられたようである。Sciarra のほかには,ブリガム病院のスタッフに加わったばかりのHenry Fox が疾患の精神力学について数章を執筆したが,これにより,遺伝性躁うつ病や統合失調症など,精神医学の主要な疾患に関する言及がなくなることになってしまった(最もラジカルな精神分析学者は,こうした疾患の存在を認めていなかったのだ)。

編集チーム,なかでも,頑固で保守的な医師であったHarrison,Resnik,Wintrobe は,一連の心理学的仮説にも神経学の章にも不満で,この章を質,量ともに拡張させられる人物を探すようThornに頼んだ。そこで私に白羽の矢が立った。ちょうどその頃,ハーバード大学とマサチューセッツ総合病院で進められていた神経学教育課程改革に巻き込まれていた私は,Thorn の依頼を受け入れて,初版で定められた枠組みに沿って,第2 版のために35 から40 あまりの章を執筆した。

編集チームは,私の仕事に満足してくれた。さらに,多くの学生が本書の神経学と精神医学の分野をテキストとして利用できると考えて,その後の多くの版にわたり,『ハリソン内科学』をそのように利用することになった。もっとも,他の編者たちは常に精神医学の分野に不安を抱いていた。私の記述は,彼らが馴染んでいた精神分析学的な枠組みに従っていなかったからである。けれども私には,精神分析学的な理論は間違っていて,この理論への興味は長続きしないという確信があったし,精神科医たちが執筆した章も,私が書いたものとたいして変わらなかったので,まったく心配はしていなかった。実際,「精神力学ではなく生物学にもとづく精神医学」というわれわれの立場が多くの研究所で受け入れられはじめたのに対して,Stanley Cobb が確立した心身症的医学は,現在ではマサチューセッツ総合病院や多くの研究所で過去のものになっている。ひょっとすると,われわれが『ハリソン内科学』において何度も主張してきた考え方が,精神生物学のこの傾向に,ある程度の影響を及ぼしたのかもしれない。