熱、諍い、ダイヤモンド

西アフリカのエボラ対策は、新型コロナの写し絵だ

エボラウイルス病との闘いに関し、医師であり人類学者でもある著者ポール・ファーマーが医学的観点に加え歴史的・社会的背景も踏まえて著述。なぜ、西アフリカなのか? なぜ、ここまで深刻な問題になり、対応が難しいのか?  著者ならではの視点・手法で問題を徹底的に掘り下げ、根っこ(root cause)にまで深く入り込んでいく。著者を「完成された医師の理想像」と仰ぐ岩田健太郎先生による翻訳。詳細かつ示唆に富み、COVID-19等パンデミック対策の参考にもなる書。



訳者あとがき

¥4,950 税込
原著タイトル
Fevers, Feuds, and Diamonds: Ebola and the Ravages of History
原著者
Paul Farmer
訳:岩田健太郎(神戸大学大学院医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授)
ISBN
978-4-8157-3044-4
判型/ページ数/図・写真
A5変 頁564 図5 写真18
刊行年月
2022年3月
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緒言:ケアする者の疾患
PART I エボラ襲来
1. 25番目の流行?
2.タフ・コール
3.イブラヒムのセカンド・チャンス
4.ヤボムの2つの試練
インタールード(幕あい)その1・・袋小路
PARTII 熱、諍い、ダイヤモンド
5.アッパー・ギニヤ・コーストと奴隷がつくった世界
6.グレート・スクランブルとパスツール派の台頭
7.戦争する世界・・臨床砂漠のつくり方
8.バラバラになる・・内戦とその余波
インタールード(幕あい)その2・・ザ・クライシス・キャラバン
PARTIII エボラ後の死と生
9.どのようにエボラは殺すのか・・社会医学の1例
10.バカげたことと、次の熱病
エピローグ・・COVIDの色

訳者あとがき

ポール・ファーマーの最新書、“Fevers, Feuds, and Diamonds : Ebola and the Ravages of History” を『熱、諍い、ダイヤモンド』として日本の読者にご紹介できることを本当に喜んでいる。たくさんの人に手にとってほしいと心の底から思う。
 本書は2014年から始まった西アフリカのエボラウイルス病流行と、その対策をテーマにした本だ。本稿を執筆している2022年には、新型コロナウイルス感染のパンデミックが年単位で世界的な問題となっており、もうエボラのことなんて忘れている人も多いと思う。そもそも西アフリカってどこ? それって俺らに関係ある話?、とお感じになる方も少なくないだろう。
 かくいう僕も、エボラが問題になるまでは西アフリカのことなど何も知らなかった。仕事でケニアや南アフリカ共和国を訪問したことはあったが、西アフリカは遠いアフリカでもさらに遠くに感じられる。2014年の年末から1か月程度、僕はシエラレオネでエボラ対策を手伝っていたのだけれど、それまではシエラレオネってどこ?、なレベルでやはりエボラが流行していたリベリアやギニアとの位置的関係すら知らなかった。ましてやその長い苦悩の歴史や、エボラが流行する遠因ともなった構造的問題についても全く無知であった。
 では、そんな遠い遠い国の、過去の感染症の問題を、どうしてここで日本の読者に紹介するのか? それは、エボラの構造的問題は、そのまんま新型コロナの構造的問題にガチに直結するところであり、多くのところでその構造は全く同じであり、エボラ問題をちゃんと考えることは、コロナ問題をちゃんと考えることとほぼ同義とすら言えるからだ。本書を読んでから、この「あとかき」をお読みになった読者はそれを痛感しているだろう。「あとがき」を読んでから本書を読む方は、大いに「それ」を期待して本書をお読みいただきたい。
 その前にポール・ファーマーである。ご存じない方も多いと思うのでここにあらためて紹介する。「総合診療」という雑誌に寄稿した文章を、一部改変してここに再掲する(2018年10号https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1429201750)。

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特集 クリニカル・パール Premium! ― 憧れのカリスマ医師はかく語りき シニアカリスマ医師はかく語りき
ポール・ファーマー先生はかく語りき ― パーフェクト・ドクター、ポール・ファーマー


ポール・ファーマーのプロフィール
ポール・ファーマーは1959年、マサチューセッツ州の貧しい家庭6人兄弟の2番めとして誕生した。苦学の後にデューク大学で医療人類学を専攻。このときハイチを訪問、その貧困、医療問題と戦うことを決意してハーバード・メディカル・ スクールに進学した。ハーバード・メディカル・スクールで医学博士、人類学博士の両学位を取得し、ハーバード大学の医学と医療人類学の教授となる。ボストンのブリガム・アンド・ウィメンズ病院で感染症医として診療する一方、ジム・ヨン・キム(元ダートマス大学学長の公衆衛生専門家。元世界銀行総裁)らと共に国際医療NGO、パートナーズ・イン・ヘルス(PIH ) を設立。ハイチ人の妻、ディディ・ベルトランド、そして3人の子どもと共にルワンダ、ハイチ、レソト、 マラウィ、メキシコ、ロシア、ペルー、リベリア、シエラレオネなどで医療・公衆衛生活動を展開。多剤耐性結核治療に関する論文を “New England Journal of Medicine” に発表するなど研究業績も卓越している。

パーフェクト・ドクター、ポール・ファーマー
幸運なことに恩師には恵まれている。行く先々で「恩師」と呼べる先生方から薫陶を受ける僥倖を得た。一方、ポール・ ファーマーは恩師ではない。ロール・モデルでもない。ポールは、僕にとっては完成された医師の理想像なのだ。目指すモデルにするには高くて、大きすぎる。
なぜ、僕がポールを医師の理想像と思うのか。それは医学・医療に絡みつくあらゆる二元論をポールが凌駕しているからだ。
ポールは医師だが、医療人類学の専門家でもある。理系と文系という二元論を凌駕しており、著作も医学的見地と人類学的見地を巧みにミックスさせ、広く深く医療問題を論じている。
日本で「文系」と言われる人のなかに、時に安易な文明批判、科学批判に走る「イタい」議論を展開する人がいる。ポー ルにそのような脇の甘さはない。僕がシエラレオネでエボラ対策をしていたとき、同地で、ある文化人類学者が世界保健機関(WHO)のコンサルタントとして派遣されていたが、「隔離だ、治療だ言う前にまずはシエラレオネの文化歴史的背景を理解しなければならない」と毎日( ! )熱弁をふるっていて周りを当惑させていた。ポールは「ああいう人類学じゃだめなんだよね」と僕に目配せして言ったものだ。
そもそも、医療と医学も二元論に陥りがちだが、ポールは「患者を見ずに病気を見る」みたいなつまんないことは言わない。患者の幸せを願い、多剤耐性結核の治療戦略を論文化する。ジェネラルなプライマリ・ケアもとんがったエボラ治療も区別しない。要はアウトカムをしっかり出せばよいわけで、そういう些末な議論やイデオロギーには与しないのだ。
逆に、日本では「数」の問題に集約されがちな公衆衛生施策にも、必ずコンテクスチャルな配慮を示せる。シエラレオネは三角貿易、黒人奴隷、植民地、内戦と英国支配と白人による差別の長い歴史をもっており、ただ先進国の白人が上から目線で物資と金とヒトを送るだけでは感染対策にはならない。
ポールは何千というエボラの死者を減らすべくオーセンティックな公衆衛生対策に従事する一方、エボラ出血熱罹患後生存した「サバイバー」たちを夕食に招待し、仕事を与えるなど細かな配慮で疾患流行時の危機の隙間に零れ落ちそうな問題をていねいに拾い上げていた。先進国にありがちな相対主義=まあ、アフリカの貧しい国なんだから人が死ぬのは仕方ないよ......とも断固として戦い、「どんなに貧しい国の人でも健康に生き、まっとうに医療を受ける権利がある」と主張する。 公衆衛生と臨床も二元論化されやすいが、これとてポールには意味のない二元論だ。「ポールは演説するとき、まるで『自分だけに話しかけているように』話す」とPIHのメンバーが言っていた(そのとおりだった)。ポール・ファーマーにとってマス(大衆)と個人もまた、対立概念ではない。
かようにポールは医療・医学の理念を追求する徹底的なアイディアリストだ。しかし、頭にお花畑ができている観念論者ではない。貧しい人を救うためには自分も貧困状態にいなければならない、とすら思わない。彼は移動するときに常にファースト・クラスに乗っているし、滞在地でも一流のホテルに泊まる。もっとも、2010年のハイチ地震のときには余震に揺れる公立病院で寝泊まりしたし、診療所に寝泊まりしながら患者を見続け、肝炎に罹患したりもした。
観念的理想論者はしばしば政治家や財界を仮想敵とみなし、攻撃の対象とする(昨今の環境問題が好例だ)。しかし、ポー ルは政治家や財界も敵視せずに積極的に談判し、ちゃっかりと活動資金を調達する。
シエラレオネでぼくらが消毒剤やテントの調達に四苦八苦しているとき、ポールは訪問した初日に「ここには学校が必要だ。毎年医師と看護師を育てれば、エボラ問題は解決する」と宣言して周りを驚愕させた。実際、PIHはあちこちから多額の資金を集めてルワンダやハイチに最新の医学校と附属病院をつくり、そこで医療者たちを育て上げたのだ。
文系と理系、医療と医学、先進国と途上国、個と集団、ジェネラルとスペシャル、富と貧困、すべての二元論を軽々と凌駕し、結果を出し続けるポール・ファーマー。シエラレオネのコノ県でエボラ対策をしていたとき、一緒に仕事をしていた PIHのメンバーが「今度、ポール来るよ」と教えてくれたときは舞い上がったものだ。「日本のドクターで、あなたの本を日本語訳した感染症医ですって」と紹介してもらい、大喜びのポールとその後何度も食事をしたり、お茶を飲みながら会話したりした。空港に行くまでのボートも一緒だった(シエラレオネのフリータウンでは船がないと空港に行けない)。エボラ問題で四苦八苦しているときに一介の日本の医者に何時間も付き合うなんて普通はありえない話だが、そういうことをなんの外連味もなくやるのがポールであり、僕らが話をしている間にもボートを操縦している少年や空港のラウンジで飲み物を出す女性にもさかんに話しかけていた。「そういえば、昨日見た結核の患者はどうなったかな」と携帯をかけて訪問地のフォローもしていた。まあ、なんたるバイタリティー。よくもまあそこまで四方八方に魂を振り向けられるものだ。
ぼくははっきり言って旅は嫌いだ。クロード・レヴィ=ストロースではないが、自宅に引きこもっていたほうが快適な人間だ。人とのコミュニケーションは苦手だし、会合も演説も嫌いだ。僕のレクチャーは、客観的に申し上げて割と上手だが、 あれは苦手で嫌いなことを自覚したがゆえの訓練の賜である。ある問題についてかかりきりになっているときに、他の問題を考えるような度量はない。要するに小さな人間なのだ。
よって、ポール・ファーマーは断固として理想の医師像であり、目標とするロール・モデルではない。フィリップ・マーロウはレイモンド・チャンドラーがつくり上げた架空の人物で、欺瞞に満ちた人間社会、カリフォルニアで「こんな人がいたらいいなあ」という理想像を小説化した偶像の騎士だ。そのおとぎ話のナイトが、現前している。チャンドラーの小説を読んで薄汚れた現実世界と対峙するささやかな勇気を得る多くの一般庶民同様、僕もポールの存在を心の支えに、たとえば 神戸大学とか神戸市とか兵庫県とか諸学会とか霞が関での薄汚れてくだらない現実的な問題と、小物っぽく戦っているのだ。

参考文献
トレーシー・キダー 竹迫仁子訳『国境を越えた医師』 小学館プロダクション 2004年 ポール・ファーマー 光橋翠訳『世界を治療する ファーマーから次世代へのメッセージ』 新評論 2016年 ポール・ファーマー 岩田健太郎訳『復興するハイチ 震災から、そして貧困から 医師たちの闘いの記録 2010─11』 みすず書房
2014年
Mitnick C, Bayona J, Palacios E, et al. Community ─based therapy for multidrug ─resistant tuberculosis in Lima, Peru. N Engl J Med 2003 ; 348 : 119─28.
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医師向けの雑誌なので、いきなり前提状況などを無視した文章になっているが、ポール・ファーマーがどれだけすごい人で、 僕がどれだけポールに入れあげているかは、感じ取ってもらえたと思う。
トレーシー・キダーがポール・ファーマーをテーマに『国境を超えた医師』を出版したとき、僕は確かニューヨーク市で内科研修医をしていた。読んですぐにポールに夢中になり、前述のように「これこそが医師の理想像だ」と思った。 2010年 のハイチ地震後の活動を記した本をポールが著したときは、すぐに翻訳を思い立ち、それはみすず書房から出版されるに至った。そしてエボラである。前述のように、偶然、一緒に働いていたパートナーズ・イン・ヘルスの仲間から「今度、ポールここに来るってよ」と言われて僕はすぐに舞い上がった。「ひと目、会えるかな」と控えめに言ってみると、すぐに会わせてくれたし、その後なんども貴重な会話もできた。
そのポールが今度はエボラについての新刊を著したと知り、ぼくはすぐに読みたくなり、また今度も翻訳を決意した。この産物が本書である。ちょうど、新型コロナ問題の真っ最中だったので訳出は困難を極め、ちょっと翻訳してはまた新たな「波」 が発生してそちらの対応で翻訳中断、を繰り返した。しかし、翻訳はどんなに困難で、どんなに途中で邪魔が入ろうと、諦めずに前進し続けていればいつか必ず完成する。凡人の僕のもつわずかな長所、「諦めが悪い」(長所だと信じてます) 性格が活かされ、本書の訳出はなんとか完遂できた。
本書は西アフリカのエボラ対策の本だが、その最大の特徴は「掘り下げ」にある。ポールは徹底的に掘り下げる。アフリカでコウモリからウイルスが入り込んで、病気が流行した、どうしよう?、という浅い、単純な形で問題に立ち入らない。なぜ、エボラなのか? なぜ、西アフリカなのか? なぜ、ここまで深刻な問題になり、対応が難しいのか? 問題の根っこ (root cause) にまで深く、深く入り込んでいく。
人類学者でもあるポールは、生存した患者にインタビューし、何が起きたか、なぜそれが起きたのかを深く追求していく。それは、インタビューを活用した一種の質的研究とも言えるし、行動を共にしていくことによるエスノグラフィーと言えるのかもしれない。
医学的にも追求は続く。なぜ、死亡率が高いのか。なぜ必要な集中治療が提供できないのか。「ここはアフリカだから」という皮相的な説明で満足できるのか。彼自身、レッド・ゾーンで患者を診療しながら、その極めつけに厳しい診療環境に打ちのめされながら、「なぜ、そうなのか」「どうすれば、克服できるのか」を考え続ける。考え続けた挙げ句、西アフリカの長い歴史や文化にも深入りしていくが、そこでありがちな文化相対主義に陥らないのが、理念と実践が理想的に融合しているポールの真骨頂だと僕は思う。
僕もレッド・ゾーンでエボラの患者を診療したときは同じことを考えた「なぜ、テントで劣悪な治療しか受けられないのか?」。驚異的な脱水で動けなくなった患者がテントの中で雑魚寝している。下痢がひどいので、やっつけ仕事でつくられた簡易トイレに患者を抱えていく。体を拭いたりする。でも、僕の想像力はここまでだ。なんやかんやゴチャゴチャやるだけで精一杯だった。「なぜ、そうなのか」。考えるのが面倒くさいわけで、とりあえず、今日、今、やるべきことを淡々と作業するだけになりがちなのだ。考えないほが、楽だし。
僕もシエラレオネに来る前には通り一遍の勉強をした。知らなかったこの国の歴史についても学んだ。でも、エボラの構造的問題に食い込むようなやり方ではやらなかった。面倒くさかったから。植民地問題がありました、三角貿易もありました、 内戦があったり、ダイヤモンドの問題があったり、なんやかんやしているうちにエボラに攻撃されました。考えるのが、勉強するのが面倒くさいからすぐに端折って「なんやかんや」でごまかしてしまう。
ポールは歴史の専門家ではないが、本書を執筆するに当たり、相当量の書物を読み倒している。注釈もとても多い。多方面から勉強し、そこに「ケアよりも管理」の構造を見いだし、その構造が恒久的に西アフリカの地にビルド・インされていく過程をていねいに追いかけ、そして「なぜ、現在の西アフリカは、今のような西アフリカなのか」の本質的な謎を解く。
だから、本書は一種の謎解きの書である。はるかに遠い地域の、聞いたこともないような地名や人名が連続する本書も、そういう root cause を探る謎解きの書、と捉えればとても読みやすくなると思う。
医師かつ人類学者というだけでも強烈なのに、専門外の歴史や政治についても貪欲に学び、そしてアウトプットしていくポール・ファーマーの探究心や勇気にあらためて感服する。専門外の領域に首を突っ込めば、当然、その領域に詳しい人から ツッコミが入ったり、批判されたりするリスクはあるわけだが、そんなことはポールにとってはどうでもよいことなのだ。
僕も10年以上前からカンボジアの医療の構造について学び、いつかまとめたいと思っている。だから、「このようなアプ ローチをとればよいのか」と、本書の訳出作業はとても参考になった。まあ、もっとも、凡人の僕にはポールのマネは到底できないので、半ちくな仕事になる可能性が高いのだけれど。
さて、新型コロナである。感染症の歴史は同じ過ちを何度も何度も繰り返す、構造問題の歴史でもある。本書をお読みいただいた方は、アフリカ後で起きているエボラの話なのに、どこか既視感を覚えるのではないかと思う。それは我々日本の日本人の物語であり、同じ構造の問題なのだと感じ取れる。感染症に対して古今東西、人は同じように恐怖し、同じようにパニクり、同じようにしくじるのだ。次はもっとマシに対応しようと思っているのだけれど、構造的なしくじりは構造的に対応しなければ、克服できないのだ。
正直、コロナの問題はもううんざりだ。面倒くさい。かかわり合いにはなりたくない。ついついそう思ってしまう。感染症界隈の人たちの多くはそう思っているし、実際に「立ち去って」しまった人もいる。正直、僕も何度も「もう、うんざりだ」 と思った。
しかし、感染症屋の真骨頂は諦めが悪いことであり、往生際が悪いことだ。本書を読み、訳出してそのエネルギーを改めてもらったような気がする。読者の皆様にも、なんらかのエネルギーが読後に注入されんことを。感染症の問題は、諦めてはダメなのだ。絶対に。もちろん、それは「感染症対策に入れあげすぎて、政治や経済やその他の社会活動を無視してよいのか!」 といった手垢のついた批判を無視するものではない。「そういうこと」を全部ひっくるめて、感染症対策なのであり、本来感染症対策は「全部ひっくるめる」ものなのだ。そのことも、本書はきっちりと読者に伝えてくれるであろう。
2022年 オミクロンの季節に 岩田 健太郎

付記:「訳者あとがき」再校後に、ポール・ファーマーの訃報を知った。享年62歳。ルワンダで突然、亡くなったという。「ハイチ」を訳出したときは、とても喜んでくださったので、本書ができたらすぐ報告するつもりだった。自分の仕事の遅さを恨む。ご冥福をお祈りします。

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