老いをみつめる脳科学

脳と老化のサイエンスストーリー

分子レベルでの神経の老化を長年研究してきた著者による、脳の老化を様々な観点からわかりやすく解説した書。脳と神経細胞の構造の解説をはじめ、老化に伴う脳内ニューロンにおける分子の変化や百寿者の脳をMRIでみるプロジェクトなど、多角的に行われてきた脳の老化の研究について率直な味のある文章で詳述。アルツハイマー病の危険因子や、学習能力を高める遺伝子変化、長寿化サプリの虚実などのトピックについても根拠に基づいた見解を収載。

¥2,970 税込
森 望 福岡国際医療福祉大学教授/長崎大学名誉教授
ISBN
978-4-8157-3091-8
判型/ページ数/図・写真
四六 頁336 図85
刊行年月
2023年12月
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0 はじめに 老化脳を考える
1 ニューロアナトミー 脳の中をのぞく
2 ニューロンの一生  テロメアの短縮がない
3 成長因子と栄養因子  ニューロトロフィンの女神たち
4 アルツハイマー前夜  変性と脱落の前に
5 脳の中の老廃物処理  ユビキチン・プロテアソーム系とオートファジー…
6 神経の可塑性低下  酸化ストレスとのせめぎあい
7 脳の中の寿命遺伝子  寿命シグナルと神経可塑性
8 ニューロンの骨組み  神経骨格からの老い
9 幹細胞と神経再生  脳は若返るのか?
10 老化脳に休息を  マスター遺伝子の妙
11 百寿者の脳をみる  百年の森の中へ
12 老化脳を守る  脳からのアンチエイジング
おわりに
参考文献
索引
著者紹介

はじめに
老化脳を考える

 幼子が老人をみつめている。その老人がまた,若い命をみすえている。
「ねえ,おじいちゃん,どうしてお鼻,おおきいの? 髪の毛,ぼくとちがうね。おでこ,痛い?」
「いいや,いとおないよ。大丈夫じゃよ」
 ルーブル美術館にあるこの絵画,タイトルには「老人と少年の肖像」とある。この幼い子の素直なまなざしと,人生を達観したような老人のおだやかなやさしいまなざしが,深く心に響く。老いをみつめる,また新たな生をみつめる,静かなときが止まっている。時は15世紀末。フィレンツェの貴族階級にいた,ある老人の死後,遺族の依頼によって画家ドメニコ・ギルランダイオが描いたものと解説されている。
 この少年も60年も経てば,今みつめているような老人になる。世代をつづった命の営みが人間の社会をつくる。フィレンツェであれ,パリであれ,そしてまた江戸でも東京でも。どこの場所でも,どのような時代でも,人間に生と死があり,その間に成長があり,またたおやかな老いがある。
 この絵にみるような,おだやかな老いが,今の社会に,あるいは家庭にどれだけあるだろうか?
 いま,日本は世界に冠たる長寿国家である。平均寿命は世界一。2014年の統計では,100歳以上の老人が6万人を超えた。今では,それがもう9万人を超えている(2023年秋)。それはありがたいことだ。しかし,一方で,どれだけの老人が健やかにその生を生きているかというと,さまざまな懸念がある。百寿者が6万人いても,そのうちどれだけの人が,ベッドの上ばかりでなく,ソファや畳の上で,あるいは縁側の日差しの中で,静かな時間を過ごしていられるのだろう? クオリティー・オブ・ライフ(QOL),「生命の質」「人生の質」が求められる。
 このところ世間では,アンチエイジングへの期待が高い。書店にはその関係の本が山積みされている。スーパーでは,カラフルなサプリメントのボトルが商品棚を埋め尽くしている。テレビでは健康番組が大はやりだ。健康長寿を目指すこと,それはいいだろう。老いてなお健やかにいられること,だれもがそれを望んでいる。だが,しかし,その先に何があるというのだろう? 現実は,さらなる超高齢化社会が待ち構えることになるだけだ。
 私は,若いころから老化の研究をしてきた。つまり「老化研究者」だった。もう還暦をすぎ古希も近いが,いまなお老化の研究をしている。別の意味で,あるいは本当の意味で「老化研究者」になった。長い研究人生で,脳の老化を,神経系の老化現象をずっと研究してきた。いろいろなことを調べ,考えてきた。
 「脳の老化」というと,多くの人は「アルツハイマー病」を思い出すだろう。しかし,私はその病気の研究はしていない。むしろ自然な老化に興味があった。「生理的な老化」というものだ。アルツハイマー病は「病的な老化」である。
アルツハイマー病やパーキンソン病など,脳の老化の病気は多い。しかし,そうした病気にならなくても,人は自然に老いる。老化は生命の必然であって,けっして忌み嫌うべきものではない。自然に受け止め,それとともに生きたい。そして逝きたい。 
「脳の老化」を論ずれば,人はまたアンチエイジングを期待するかと思う。はじめにお断りしておくが,この本は脳のアンチエイジングのハウツー本ではない。こうすれば老いが防げるということは,(ごく一部を除いて)書いていない。どうして脳が老いるのか,老いる脳の中でいったい何が起こっているのか,それを調節するようなものがあるのか。私のこれまでの研究をベースにして,周辺のこともふまえながら,『老いをみつめる脳科学』を論じてみようと思う。
 ギルランダイオの絵の中の老人のように,静かに老いたいと誰もが思っているにちがいない。そのためのヒントは本書の中に少し散りばめられている。しかし,それをみつけられるかどうかは,読者のみなさんの受け取りかた次第である。自分が読んだ情報は脳内にとどまる。しかし,自分が読んだ内容から,自分の脳で改めて考えてみることで,何かが開ける。何かが変わる。その少しの想像が芽生えれば,あなたの脳は「老いない」とも,「若返る」ともここには
書かないが,少しだけ元気になるだろう。ただ読んで知識を得る,というのではなく,読みながら,自分で改めて考えてみる。そうすることが,老いてなお健やかな脳をもつためのヒントなのだ。
*     *     *
 本書の構成は以下の通り。
 第1章ではまず,脳全体の構造をおさらいしておく。この先,老化脳におけるさまざまな変化や制御分子について説明をしていくが,海馬や扁桃体,小脳や中脳など,相互の位置関係と機能性についても確認しておこう。脳解剖をとおして人間の脳の中をのぞきみるというのは,医学生や解剖学者以外には,まずありえない世界であろう。しかし,人間であれば誰しも脳に関心があるのではないだろうか。なぜなら,そこは精神の宿る場所,自分自身がいる場所なのだから。自分が自分として長く生きている意識,「自己」意識も「一生」の感覚も,すべてこの脳の中に収められているのである。 解剖といえば,イタリア,ルネッサンス期の画家レオナルド・ダ・ヴィンチが人体解剖のスケッチを多く残したことはよく知られている。オランダのレンブラントにもまた,解剖の場面を描いた絵がある。そのひとつは,彼が50歳のときに,アムステルダムの外科組合の依頼を受けて描いたものである。その物語を起点に,脳の中をのぞいていくとしよう。
 第2章では,脳の主要な構成要素である神経細胞「ニューロン」について説明していく。とくにニューロンの老化についてみるのだが,その特徴は非分裂性,つまり細胞分裂できないということだ。通常の細胞は分裂して増え,そのたびに若返る。しかし,ニューロンにはそれができない。老化学の分野ではよく知られたことだが,普通の細胞には,染色体の末端に「テロメア」という部分があって細胞の老化を制御している。だが,細胞分裂をしないニューロンで
は,テロメアによる老化制御はない。ニューロンの寿命は人間の寿命とほぼ同じで,脳の中で人の一生とともに生きる。本章ではその特殊性についてみておく。第1章と第2章でみる脳とニューロンのすがた,これが,老化脳の中で起こるさまざまなイベントを理解する上での基礎になる。
 ついで,第3章から第10章までが,脳の老化研究についての各論である。「生理的な老化」の観点から重要な項目についてたどっていく。最近話題のオートファジーとよばれる細胞の浄化機構も含めて,老いるニューロンの中でのゴミ処理や,ニューロンの活動を支える骨組みの異常や,それを制御するしくみについてみていこう。脳の活動性やニューロンの微妙なはたらきを調節する分子について,また,寿命遺伝子と脳のかかわりについてもみることになる。老化と寿命は密接に関係する。そのつながりを,脳の中にみることができる。こうしたさまざまな研究について,その研究結果だけでなく,研究の現場でのプロセスを紹介しながら,脳の生理的な老化の本質をみてゆこう。
 話はニューロンの分化・成長を促進する「神経成長因子」(NGF)を発見したイタリアの女史,リタ・レヴィ・モンタルチーニ(1909~ 2012)のエピソードから始める。その生没年からわかるとおり,彼女は103歳まで生きたスーパーウーマンである。そんな彼女の研究から,脳由来の「神経栄養因子」(老化脳の神経に栄養を与えるような保護因子)がみつかるのだが,私は,そのいわば老化脳の「守護神」のまわりではたらくいろいろな分子や遺伝子を研究してきた。そこで,私自身の研究成果も紹介しながら,脳の老化の実態に迫っていく。
 この第3章から第10章にいたる各章は,章ごとに視点を変えて,脳の老化について考えていく。脳内の老廃物処理システムが機能低下すれば脳は老化するし,脳の活動に応じて変化する神経ネットワークの柔軟性が下がれば,老化のサインとなる。また,ニューロンにも神経骨格という骨組みがあるのだが,この骨格がなければ脳はとても100年の長命を保てないであろう。
 これらの章は互いに関連しており,もっとも適切と思われる順番に構成しているが,それぞれ独立した内容でもある。したがって,途中難しいところがもしあれば,多少読み飛ばしたり,興味のあるところから読んでいただいてかまわない。ただし,この流れで読むと,最後の意外な展開をより楽しめるはずだ。それを通じて,科学研究の面白さや意外さを感じてもらえればと思う。とにかく,今まさに深まりつつある老化脳研究の現状を解説したい。脳の老化の本
質を理解し,その根本のところを制御できれば,本当の意味での健康長寿が手の届くものとなってくるはずだ。
 第11章では,「百寿者の脳」を取り上げよう。現在すでに9万人を超える百寿者の中には,100歳を超えても素晴らしい知性と活動性を維持しつづける人たちがいる。その一例を紹介しながら,百寿者脳の秘密を探っていこう。それをふまえて,最後の第12章では,多くの人にとって関心の高いアンチエイジングについて考える。身体の制御塔である脳こそがアンチエイジング戦略の基本となる。本書の中で展開してきた老化脳研究の成果にもとづいて考察していく。
*     *     *
 老化学( 老年学)のことを, 英語でジェロントロジー(gerontology)という。米国で最初にこの分野の研究の重要性を指摘し,大学院を整備し,全米で最初に「老年学」の学位を出し世界の老化学を主導する拠点のひとつとなってきたのは,ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学である。その大学の広報誌に面白い絵が載ったことがあった。老化研究の中核となったのはアンドラス老年学研究所。そこでの研究,とくに脳の老化研究の進展を紹介した特集号だった。特集のテーマは,「老化脳」(The AgingBrain)。老人があごに手をあてて考え込んでいる。老いる脳の中でいったい何が起こっているのか? 老化脳で老化脳を考える。本書では,まさにこの絵のような世界が広がる。

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